どきゅん諸葛亮孔明の兵法

誰でも使える諸葛亮孔明の兵法、成功法則です。

どきゅん諸葛亮孔明の兵法 ⑰幸運の公式、幸運の確率式と幸運確率同等の原理。

 

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おさむちゃんでーす!!

違いますね。青木ばななでーす!!

 

 

幸運確率の式を前回だと見にくいので、フォトショで書き直しました。

 

 

「運とはサイコロを振ることと同じこと。」

という前提にして作った公式です。

 

これは、桃太郎電鉄をプレー中に、ハワイから九州に行かなければならない時に思いついたものです。

 

桃鉄でサイコロが6を出し続けられたら強運といえると思います。

しかし、桃鉄の場合は思ったサイコロの目が出ないと負ける場合もある。

 

強運の人は、サイコロの目を自由自在に出せるということなのでしょうか?

それともずっと6を出し続けられることなのでしょうか?

運とはこのサイコロの出る目をコントロールできるという事なのか?・・・

 

 

一応、この答えは「違う」としました。

 

運を学んでいくと、すべての人に等しい確率でサイコロの目が出ている、ことが解ります。

 

強運と呼ばれる岩崎弥太郎さん(三菱の創始者)でも、ずっと6を出せていたわけではないのですね。

1も出しているし、マイナスも出します。

どんな人でもサイコロの目は等確率で出てしまうようです。

 

つまり幸運の法則とは、サイコロの目の出る確率をいじれる、という事ではないようなのです。

 

 

これは「原理」なのです。

光速度不変の原理、とか、重力質量と慣性質量の等価原理とか。

原理とは根本をなす決まりみたいなもので、覆せない理です。

 

サイコロの目は誰でも等確率で出てしまう事も原理のようです。

 

 

よってこのことを

「幸運確率の同等の原理」

と勝手に名付けてみました。

 

 

 

 

しかしながら、この世の中は、才能、実力以外の力が必ずしもあり、才能があっても全然目が出ずに終わってしまう人もいます。

逆に、ぱっとしない人なのに、幸運の階段を上れてしまう不思議な人もいます。

 

 

「ふろむだ」さんの本で言うと、実力は環境で後付される、という理論が提唱されています。

 

ダウンダウンとかウッチャンナンチャンのように、若いころにチャンスがいっぱいあって、学べる環境を掴められるかどうか、ここが大きく違ってくる。

プラスマイナスゼロ、とか、磁石、とか、ハマカーン、バイキングとか、永野とか、トータルテンボスとか、ネゴシックスとか、チーモンチョーチューとか、僕は相当面白いと思っている人達なのに、環境が手に入らないと、実力が備わっていても育たない。

 

逆に、環境さえあったら、彼らもダウンタウン、ウッチャンナンチャンと同じようなポジションに立てていたであろう。

 

実力は環境が大きい、という理論です。

 

そして、その環境をつかむのは、運の要素が大きいという解釈です。

 

まずは運がないとならない。成功するには運の要素が大きい。

しかも、テレビという少ないパイに入り込むのですから、そこに入るには同じ実力、もしくは実力はちょっと足りなくても

見た目の良い方がよい。

相性の良い方がいい。

イメージに沿う人の方がいい。

家が近い人の方がいい。

親戚だった。

同じ大学の後輩だった。

趣味が一緒だった。

名簿順で先だった。

声が好きだった。

嫁がファンだった。

数字がよかった。

じゃんけんで勝った、

ライバルが事故った、

差し入れが気に入られなかった、

 

 

そこは運でしかない。

 

 

この運のサイコロをみな振っていて、何が出るかをコントロールすることはできないようなのです。

 

 

では強運と呼ばれる人たちは何が違うのか?。

 

ウッチャンナンチャンと大西ライオンは何が違うのか?。

くまだまさし、でもダウンタウンになれるのであろうか?

 

 

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この式を見ながらそれを説明していこうかと思いますが、運悪く今日は長くなってしまったので、来週にしまーす。